みなさんこんにちは。
AGSホーチミン事務所の閑野と申します。
前回はビール市場について、簡素なものではありますがご紹介をさせていただきました。
私の趣味になりますが、今回も引き続き、ベトナムのビールについて、歴史的側面からご紹介させていただければと思います。
ベトナムビールの興り
そもそもベトナムにビールが持ち込まれたのはいつの事でしょうか?ベトナムのビール協会によれば、それは1890年台のことのようです。
当時、フランス領インドシナの一部として統治されていたベトナムには多くのフランス人が入植をしていました。
当時のベトナムでお酒といえば、そのほとんどが「米」「サツマイモ」「キャッサバ」から醸造された伝統的なものばかりで、フランス人の口には全く合わなかったといいます。
そこで持ち込まれたのがビールとワインでした。(ワインに関してはいつかブログで書きたいと思います。)
ハノイ市近郊にベトナム初のビールメーカー「the Hommel Brewery」が設立され、ベトナムのビールの歴史がスタートします。※ちなみに、この会社が後の「HABECO」の源流となります。
しかし、伝統的なお酒に対してビールは苦味や炭酸、そして独特の匂いがあり、当時のベトナム人には全く普及しなかったといいます。そのため、ビールは現地のフランス政府高官を含めた外国人富裕層が飲む嗜好品として認識されていたようです。
この風潮が長い間続き、ビールが本格的に普及するのはベトナム戦争が勃発する1960年代の事になります。
ビールが大衆酒となるまで
ベトナム全土を疲弊させた戦争の中では食料の確保は非常に苦しい死活問題であり、ましてやお酒の原材料として穀物を捻出するだけの余裕はありません。そこで、目がつけられたのがビールでした。
ビールの原料である麦は米などと比較して入手するのも簡単で、しかもビールを製造するだけのノウハウも以前からあった、というのがその要因でした。
そして、この時期に生まれたのが皆さんもご存知の「ビアホイ」(生ビール)です。
ビアホイとは日本で言うところの「生ビール」のようなもので、タンクからビールを直接注ぐスタイルを指します。
このビアホイが生まれた背景には、
- 戦争によりガラスが不足していたため、爆弾や戦車などの残骸からやむなく製造した。
- 「作りたて」のお酒を最上のものとしていベトナム人にとって、タンクのまま醸造し、そしてそのままの状態でお客に提供するビアホイは非常に受けがよかった。
このようにして、ビールは当時の労働者に広がり、一気に大衆のお酒としての地位を確立するに至りました。
また、ビールの普及によりベトナム人の食生活も非常に大きな変化を迎えたことも忘れてはないません。
特筆すべきはベトナムの犬食文化です。
戦時中、家畜の肉は貴重なものであるため、めったな事がなければ口にはできませんでした。
これに目をつけた北部山岳地帯の少数民族が、当時大流行し始めたビールにあやかり「ビールのお供に犬肉を」といった具合に売り始めたのが始まりのようです。
これにより犬肉がブームとなり、文化として根強く残る結果となったそうです。
今では世界でも有数のビール大国であるベトナムが、当初はビールを全く受け付けなかったというのは非常に興味深い話ですね
それでは本日は以上になります。 ヘンガップライ。