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【ブログ】牛乳文化の興り~ベトナムの一大産業になるまで~

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みなさんこんにちは。

AGSホーチミン事務所の閑野です。

突然ですが、ベトナムの学生に最も人気があるベトナム企業はどこかご存知でしょうか?

実は、意外なことにベトナムでは乳製品メーカーのビナミルク(Vina Milk)が圧倒的な人気を誇っており、その認知度はグーグル(Google)と同等とまでいわれているようです。

日本人の感覚からすると、商社やマスコミ、金融などの花形企業を抑えて、乳製品メーカーが不動の地位を築き挙げたというのはなんとも興味深い話です。

ベトナムの牛乳市場

日本ではあまり知られていない事ですが、ベトナムの牛乳市場はベトナム市場の中でも「最も著しい成長を遂げている市場」として国内外で大きな注目を集めています。

ベトナム統計総局の調査によれば、2007年から2013年にかけての牛乳生産量は34万kℓから71.8万kℓ(約、個人の年間消費量は7ℓから18ℓ(約250%増)にまで増加していることが公表されています。

ここまでの大きな成長を遂げている牛乳市場ですが、ラボバンク(Rabo Bank)(オランダ系の金融機関)の統計調査によると、2013年の牛乳の年間個人消費量は日本が85kg、マレーシアが51kg、タイが30kg、アセアン平均が20kgとなっている中、ベトナムは15kgと非常に少ない事が指摘されています。※調査機関によって牛乳の表記が「ℓ」と「kg」に類別されています。ちなみに牛乳の比重は1ℓ=1,030g)

牛乳の消費量が「少ない」という事は、裏を返せばそれだけの「成長の伸びしろ」を残している、といった見方もできるため、今後の市場動向からは目が離せません。

牛乳が普及されるまでの道のり

この様にベトナムの消費財市場を大きく席巻している牛乳市場ですが、「牛乳を飲む」習慣が一般市民に浸透し始めたのは、なんと90年代後期からの事だといいます。

それ以前にも「牛乳」というものは確かに存在はしていましたが、そのほとんど全てが国外から輸入された脱脂粉乳を元に作られた「還元ミルク」で、「生乳」は一切市場に出回っていなかったといいます。

実際、戦後のベトナムでは食用の牛を飼育する家畜農家は多くいた事が確認されていますが、乳牛を飼育する酪農家はほとんど確認されていないようです。

そして、80年代後期に実施されたドイモイ政策の経済効果が徐々に実を結び、90年代後期に「ライフスタイルの変化」と「一大ベビーブーム」を巻き起こします。

これにより、国民の生活水準が著しく向上した事で一般家庭にも「冷蔵庫」が普及し、冷蔵保存が基本となる牛乳をいつでも飲める環境が整い、その上、子供の数が増えた事により発育に良いとされる牛乳の需要は一気に拡大します。

この消費者の声にいち応えたのが当時の乳製品を国営企業として担当したビナミルクでした。

同社はニュージーランドやオーストラリアから乳牛を輸入する事で自社農園を設立し、ベトナムで初の大規模な酪農事業に着手しました。

また、市場の大半を占めていた還元ミルクに対しても子供の発育に必要な「栄養素」を多く配合し、大々的にプロモーションしていきます。

これらの試みは見事に的中し、2000年代には牛乳文化が広く普及するようになりました。

ベトナムに牛乳文化を普及させ、そして酪農産業を興したビナミルクの功績は賞賛に値します。

ベトナム統計総局によると、2000年には3.5万頭しかいなかった乳牛が、2008年には10.7万頭、2013年には18.6万頭と増加している事が分かっています。(ちなみに、日本が保有する乳牛の頭数は一般社団法人Jミルクによると、2016年現在で約137万頭とされている。)

当然の事ですが、乳牛の増加により乳製品の消費量が促進された事も大きな変革の1つといえるため、ビナミルクがベトナムに与えた影響力は計り知れません。



それでは今回は以上になります。

次回も引き続き、ベトナムの牛乳市場についてご紹介させていただきます。

ヘンガップライ。

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